にゃんどる

北山さんに想いを馳せる猫様の奴隷

三次元のアイドルに恋すること

「キスマイが好きだなあ」「北山さんが好きだなあ」と思えば思うほど、二次元との差に(私、)なんでこんなになってしまったんだろうと考えることが増えた。



中学時代までの私は二次元の男子にしか興味がなかった。男子が苦手だったいうこともあるし、当時はまだ「オタク文化」が浸透する前だったので、
オタクである私にとって彼らは恋愛対象外でしかなかったのだと思う。
クラスメイト等、近場の男子どころか特定の好きな男芸能人もいなかった。

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小・中学生誰しもが通ると思われる、ジャニーズなら誰が好き?」「このグループなら誰がタイプ?」のくだりでは一応この中ではこの人かな?という相手がいても、熱を上げるほどではなかった。

アニメや漫画のキャラの男子に恋をし、ネットサーフィンをしては好きなジャンルのホームページに入り浸る毎日。
当時流行った「夢小説」なるものを読み漁り、好きだったアニメの(何故か出し始めた)恋愛シミュレーションゲームもどきをやり、声優さんのラジオを聴き、にやにやする日々。

二次元と三次元、両方のオタクを経たからこそ、 その違いに時々ついていけなくなる時がある。
「二次元は裏切らない」という有名な言葉の通り、二次元は実際に存在しないからどんなに夢を持っても裏切らない。ストーリーの中で誰かとくっついたりしても、実際に存在しないからこそ、二次創作でいくらでも妄想に励むことができるし、それが楽しいから別に気にならなかった。
キャラクターとしての性格に裏も表もないし、影でオタクのことをどう思ってるとか、そういう感情ですら彼らは持っていないから本当に気が楽だった。
会うこともできないし、彼らに認知されることもない。
自分の一方的な感情だけで満足することができたから、オタクをやっていて気が病むこともほとんどなかったと思う。

それに比べて、三次元に存在する彼らを好きなってからは一方的な思いだけでは満足されなくなった。
ファンへの思いに応えてくれて、会いにも行けて、なんなら認知だってしてくれるかもしれない状況に、一方通行じゃなくなったことに、感覚が麻痺してきた。
キスマイにはまった当初は、ただ見ているだけでよかったのに好きになればなるほど一方的な思いが辛くなった。気が病むし、疲れる。

現場へ行けば、存在してことに、同じ空間にいられることに対して幸せを感じた。生きてるんだ、本当に存在してるんだ!って心が踊るんだけど、同じくらい虚しくなる。手が届かない。遠い。それを実感してしまう。近ければ近いほど遠くに感じる。存在を喜んでる私の存在を彼らは知らないから。「見えてるよー!」も嘘に決まってるから。天井席なんか見えるか。

今回、ご縁があって入った静岡公演、いわゆる神席と呼ばれる席で正直死ぬかと思ったし、楽しかったし、もうなんて言えばいいかわかんないほど良かった!!
でもその嬉しさとか楽しさとかそういうテンションが上がれば上がるほど虚しさとの高低差が膨らんで行くことに気づいた。

別に繋がりたいとか、付き合いたいとか、そういうわけではなくて。

存在を確認すればするほど、生身の人間なんだということに気づいてしまって、生身の人間だということはアイドルの顔とそうじゃない顔とある事を感じてしまう。好きなのに、疲れることが増えた。

私はあんまりプライベートのことは知りたくない。
知りたくないけど、ツイッターで知りたくない情報を見て知ってしまったりすると、知ってしまった以上、「あるはずないけど、ないとは言い切れない」と生身の人間だからこそ感じてしまう。アイドルとして彼らが好きだからプライベートのことを知ってしまうとアイドルじゃない裏の顔がチラついて、なんとも言えない気持ちになる。

生きてるから、存在してるから、知りたくない情報がどこからか漏れてしまう。しょうがないことだと思う。

こんな時代だから、こういう気持ちになっちゃうのかもしれない。SNSなんか、ネットなんかやらなければ知りたくない情報を得ることもないからこんな思いしなくてもいいのかもしれないけど。好きでいることが、こんなにも疲れるのは三次元だからなのかな。



でも結局彼らをみて「やっぱり好き」ってなっちゃうっていままで書いたことどうでもよくなったりするんだ。不安な気持ちを一気に拭い去ってくれる。やっぱりこれは恋なんだな〜
明日ぴきらフラゲ楽しみです